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かかやん [か行]

 日本自生の植物なのに外国の地名が付く植物がある。検索する方法がないので見つけたらということで、ナンキンナナカマドの南京市、ボロジノニシキソウのボロジノ(Бородино)村は既に取り上げた。今度はカカヤンバラのカガヤン(Cagayan)州である。カガヤン州はフィリピンはルソン島の北部にある。そこに八丈島の船長儀平なるものが漂着し、バラの種を持ち帰り、その種が赭鞭会(しゃべんかい)という本草学研究会の会員である旗本馬場大助の手に渡り、花咲き実を着け広がったというわけである。馬場大助は絵画に堪能で渡来植物を庭で育て図譜を出版しており、そのひとつ「遠西舶上画譜」(1855)に次のくだりがある。文政十丁亥年は1827年である。
『文政十丁亥年八丈嶋ノ船長儀平「カゝヤン」ト云國ヘ漂流シテ携帰ル種ヲ贈レルヲ下種シテ初テ生ス』
 その後、石垣島に自生が発見されヤエヤマノイバラという名前が付けられるが、すでにバラ愛好家に定着した名前が代わることはなかったということのようである。

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カカヤンバラ 2022.7.3 堺市浜寺公園(植栽)

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かさ [か行]

 傘と笠の違いはお解りだろうか。傘は頭上にかざすもので「さしがさ」ともいい、笠は頭にかぶるもので「かぶりがさ」ともいう。「米国の核のカサに守られていることをいいことに経済力をカサにきて・・・」とくればどっちがどっちか。
 植物の場合はというと判然としないものもあるが、まずは明快なところでカサスゲ、編笠の材料となる菅なので笠。ずばり編笠という名をもつものが、トウダイグサ科のアミガサギリで大きな葉の赤い葉脈が網目模様だから。同じトウダイグサ科だがエノキグサの別名をアミガサソウというのは花の下の苞葉が編笠の形に似ているから。ハナガサノキは花笠の木で赤い集合果を琉球舞踊の花笠にみたてたもの、山形の花笠まつりのものではない。
 一方、明快な傘といえば、地面から伸びた葉の形が柄の付いた傘のようなモミジガサ。若い開き切らない葉が破れた番傘のようで目玉を着ければ妖怪傘化けとなりそうなヤブレガサ。ヤブレガサを大型にしたようなものがタイミンガサで大明は中国の明国の意とされるがなぜかは不明。高さ1.5mともなるオオカサモチは太い茎のてっぺんに散形花序を広げた傘を持つ。湿地に咲くヒキノカサは長い花茎に付く花を蛙の傘にみたてたものである。
 さてここからが悩ましい。イワガサは岩場に生育するシモツケの仲間でコデマリやイブキシモツケのような半球上の散房花序を着け一見笠のようだが、裏から見ると放射状に骨が広がった傘そっくりである。ウメガサソウは梅に似た花を長い花茎の先に下向きに笠のように咲き始めるが、次第に横向きとなり、風にあおられておちょこになった傘のようである。最後はキヌガサソウ、現在は衣笠と表記されるが、これは奈良・平安の時代に高貴な方に従者がかざしたもので天蓋あるいは絹傘といい、現在の傘の原型とされるものである。
<どっちがどっち笠と傘>
【笠】アミガサギリ、キダチアミガサソウ、キ-ルアミガサギリ、アミガサソウ(別名:エノキグサ)、カサスゲ、アカンカサスゲ、アキカサスゲ、キンキカサスゲ、フクイカサスゲ、オオカサスゲ、カラフトカサスゲ、ハナガサノキ、ハハジマハナガサノキ、ムニンハナガサノキ。【傘】タイミンガサ、ニシノヤマタイミンガサ、ヤマタイミンガサオオモミジガサ、テバコモミジガサ、モミジガサ、タンバヤブレガサ、ヤブレガサ、ヤブレガサウラボシ、ヤブレガサモドキ、ヒキノカサ、オオカサモチ。【どっちでもいい】イヨノミツバイワガサ、イワガサ、コゴメイワガサ、ミツバイワガサ、ウメガサソウ、オオウメガサソウ、キヌガサソウ

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ヤブレガサ 2020.4.19 両佛山

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けしょう [か行]

 ファンデーションを塗り終わったら、アイラインを描いて、シャドウを入れて、チークを入れて、リップを塗って・・・と、最新のメークアップの複雑な工程は説明しきれないが、昔は化粧といえば、白粉(おしろい)をはたいて、紅(べに)をさすイメージ。植物で化粧といえばもっと単純で白粉つければ概ね完成だ。
 ケショウヨモギは葉の裏側が化粧を施したように白いことが、ケショウアザミは茎が白い毛で覆われていることが、ハンゲショウは葉の半分が白く色付くことが名前の由来である。ケショウヤナギは、幼木の枝や幹が白粉で覆われることに加え、小枝は繊細で紅色を帯びて美しい。アカバナ科のユウゲショウ(夕化粧、別名アカバナユウゲショウ)は、夕刻に花を開き艶っぽいということだろうが、実はこの花、日中に開いて夜にはしぼむ。命名者がたまたま夕方に見たのか、マツヨイグサの仲間なので夕方なのか、真意を問いただしたいところである。種の中の白い粉を白粉にして遊ぶというオシロイバナは別名をユウゲショウという。こちらは夕方から夜の花である。白粉からの連想で化粧の別名がついたとも考えられるが、赤い花と白い花が混じることが多いので、紅と白粉のセットでお化粧のような気がする、アカバナ科のユウゲショウも白い花が混じることがあり、そこから化粧の名がついたのではないだろうか。

<お化粧する植物>
ケショウヤナギ、ケショウヨモギ、ケショウアザミ、ハンゲショウ、ユウゲショウ(アカバナユウゲショウ)、オシロイバナ(別名ユウゲショウ)

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ハンゲショウ 2009.7.21 岐阜県恵那市坂折棚田

くず [か行]

 マメ科の多年生ツル植物のクズは、漢字では「葛」と書く。この字は「かずら」とも読んでツル植物の総称として使われる。クズは、元々は「国栖」であり、国栖は奈良県吉野町にある山間の集落の名称である。したがって、クズは、本来「国栖葛(くずかずら)」というべきものだが、古くから国栖ではクズの根より澱粉の生産が行われ、その質の良さから、澱粉がくず粉と呼ばれ、その原料植物がクズと呼ばれるようになったという。くずと呼ばれる植物には、クズの他、クズと同属のタイワンクズ、属は異なるが形態が似ているビロ-ドヒメクズ、カショウクズマメがある。

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クズ 2011.9.10 堺市

ぎん [か行]

 植物に銀色のようなメタリックカラーを期待するのには無理がある。銀といっても実際は白なのだが、あえて銀というにはそれなりの意味があるはずだ。まずはひとつの株に黄色と白の2色の花や実を付けることから「金銀」として使われているもの。2色の花を着けるスイカズラの仲間にはキンギンボク(ヒョウタンボク)があり、スイカズラも別名キンギンカと呼ばれる。他にはキンギンソウ、キンギンナスビがある。次は他の植物に「金」が付くものがあり、それと対となって銀が付くもの。キンランに対するギンラン、キンセンカにギンセンカ、キンバイソウにギンバイソウ、キンレイカにギンレイカなど、これが対かと思うほど形の違うものもある。そして残りは、ギンゴウカン(ギンネム)、シギンカラマツ、ギンリョウソウだが、これらには白では済ましがたい輝きや透明感がある。


※「銀」の付く植物
銀梅草:ギンバイソウ、金銀木:キンギンボク、キミノキンギンボク、金銀草:ナンバンキンギンソウ、キンギンソウ、金銀茄子:キンギンナスビ、銀鈴花:ミヤマタゴボウ(ギンレイカ)、シマギンレイカ、銀盞花:ギンセンカ、銀合歓:ギンゴウカン(ギンネム)、銀蘭:ギンラン、エゾギンラン、ササバギンラン、ニシダケササバギンラン、銀竜草:アキノギンリョウソウ、ギンリョウソウ、ベニバナギンリョウソウ、紫銀落葉松:シギンカラマツ

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ギンリョウソウ 2013.6.23 大阪府千早赤阪村

くまがい [か行]

  クマガイソウの名の由来となった熊谷次郎直実(くまがいじろう なおざね、1141~1207)は、一ノ谷の合戦で平敦盛(たいらの あつもり、1169~1184)を討ち取った源氏方の武将である。打ち取られた敦盛はクマガイソウと近縁のアツモリソウに名を残す。なぜ武将の名が花に付いたかいえば、騎馬武者が後ろからの矢を防ぐために背負った「母衣(ほろ)」という布袋状の武具に花の形が似ているからである。あまたある武将の中から、なぜこの二人が選ばれたかといえば、平家物語の巻第九の敦盛最期のエピソードにより、この二人は、源頼朝や平清盛に劣らぬ有名人であったからである。
  敗走中にもかかわらず直実の呼びかけに応じ一騎打ちに臨む敦盛。敦盛を組み伏しいざ首をかかんとするが、敦盛の数え17才の紅顔を見て躊躇する直実。落ち延ばそうとするが二心ありかと疑う周囲の目に逆らえず、やむなく首をはねる直実。出家する直実、亡霊となる敦盛という後日談も加え、無常観に満ちたこの物語は、後に能などで演じられるようになる。
  さて、騎馬武者が矢を打ち合う源平合戦当時の戦闘スタイルでは、母衣は効果的な防御となったようであるが、槍や鉄砲の戦国時代にはその役割を変え名誉の軍装となる。織田信長は側近にのみ母衣の着用を許し、黒母衣衆、赤母衣衆という精鋭部隊を作った。赤母衣衆の筆頭が後に加賀領主となる前田利家である。金沢百万石まつりの行列には、真っ赤な母衣をまとった赤母衣衆を見ることができる。もしクマガイソウの花が赤ならば、トシイエソウとなったかもしれない
<くまがい一族> 
 クマガイソウ、エゾノクマガイソウ、キバナクマガイソウ

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クマガイソウ 2013.5.3 東京都八王子市

かずら [か行]

  「かずら」は、つる植物の総称で【葛】あるいは【蔓】の字をあてる。かずらに関連する記述がすでに古事記にあり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に引きこもった際に、踊る天宇受売命(あまのうずめのみこと)の装束の説明に2種類のかずらが登場する。“天宇受売命、天の香山の天の日影(ひかげ)をたすきにかけ、天の真折(まさき)をかづらとして”1)という記述で、日影はヒカゲノカズラ、真折はテイカカズラ2)と考えられている。つる草や花などを頭髪の飾りとしたものが「かづら【鬘】」であり、今でいう「かつら」である。
 スイカズラ、サネカズラなど、かずらが名前に付く植物は80種を数える。ただし、つる植物の名称としては「つる【蔓】」の付く名称を持つものが多く120種ほどある。
  「かずら」、「つる」の他にもつる植物を総称する言葉がいくつかある。ひとつは「つづら」で漢字にすると同じく【葛】、籠の材料になるつる植物でありオオツヅラフジ(別名ツヅラフジ)が代表的だが、「ふじ【藤】」もつる植物を総称する用語であり、昔はつる植物を、草本、木本とならびで藤本と呼んだ。なお、クズは特定の植物名であり、本来、吉野の国栖(くず)に産することから‘くずのかづら’であったものが短縮されてクズとなるのだが、漢字は【葛】をあてるのでややこしい。

1)古典の植物を探る、細見末雄、八坂書房
2)ツルマサキ、サンカクヅルとする説もある。

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ヒカゲノカズラ 2008.5.23 愛知県犬山市八曽山

くりん [か行]

 「くりん」という言葉が付く植物には、サクラソウ科のクリンソウとタデ科のクリンユキフデの2種がある。この「くりん」は九輪と書き、五重塔の屋根から天に向かって突き出たアンテナのような金属製の部分である。この部分、正確には相輪(そうりん)といい、九輪はその一部である。
 五重塔などの仏塔は、お釈迦様の遺骨などをおさめた土盛りの塚であるストゥーバが、インドから中国を経て日本に伝わる過程で木造の塔となったものである。相輪は、本来のストゥーバ部分に相当する。その一番下の四角い部分を露盤、その上のまんじゅう型を伏鉢といい土盛りであった部分である。さらにその上に、請花、九輪、水煙、竜車、宝珠と続く。九綸は、宝輪というリングが9個積み重なった形をしており、五大如来と四大菩薩を表すという。
 クリンソウは段々につくその花の形を九輪にみたてたものである。山中でこの花に出会う時、とても厳かな気分となる。命名者に賛同の意を表したい。一方、クリンユキフデは、筆の穂先のようにかたまって咲く白い花を雪筆、段状に着く葉の形態を九輪ということだが、九輪は言い過ぎだろう。
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クリンソウ 2003.5.22 宮城県川崎町
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相輪(法隆寺五重塔)

かてん [か行]

 カテンソウは「山渓ハンディ図鑑 野に咲く花(林弥栄監修1989)」をみると、“花点草”と表記されている。“加天草”と書くと、これはケナシサルトリイバラ(Smilax glabra、別名:山帰来)のことになる。さてこの“花点”、「野草の名前 春(高橋勝雄2002)」では、“花あるいは雄しべが点のように小さい”からと説明している。なるほどそうだが、いかにも後付けっぽい。牧野日本植物図鑑改訂版(1939、初版1930)には由来不明とあるので、比較的最近の後付けのようだ。
 「植物和名語源新考 新装版(深津正1995、初版1976)」に詳細な記述があった。深津氏によると、カテンソウが日本の書物に最初に登場するのは、「物品識名拾遺(水谷豊文1825)」で、“カテンサウ”と記載され漢名はない。中国では、「植物学大辞典(上海商務印書館1918初版)」に“高墩草”があり、江戸時代の渡来中国人にこの草の名を尋ね、その発音“Kau tung chaw”を日本流かな書きにしたのがカテンソウであろうとしている。“墩”は、“土盛り・小山”の意味なので、カテンソウは土手に生える草と解釈できる。
 しかし、最近の中国語の植物図鑑に“高墩草”の表記はなく、中国高等植物図鑑第1冊(中国科学院植物研究所1972初版)では“花点草”、「台灣高等植物彩色圖誌 第三巻(應紹舜1988)」では“花點草”となっている。これは、おそらく日本で作られた漢字名が中国で採用されたものであろうが、“花点”が日本で使われ始めたのが、いつなのかわからない。そして、本来の漢名“高墩草”はどうなってしまったのだろう。
<カテンの付く植物>
カテンソウ、ヤエヤマカテンソウ

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カテンソウ 2003.4.6 神奈川県愛川町八菅山

ごぼう [か行]

  日本薬局方に牛蒡子(ごぼうし)という生薬が記載されている。これは野菜の牛蒡の種子で、発汗・利尿作用を有している。もともと牛蒡は、薬草として、古くに中国から伝わったものだが、日本ではその根が野菜となって、煮物、きんぴら、かき揚げ、柳川鍋、きりたんぽ鍋と、日本料理には欠かせない食材となっている。最近ではサラダの人気も高い。
  ところが牛蒡の根を食する習慣は日本独特のもので、中国では生薬としてしか牛蒡を利用しておらず、欧米人に牛蒡をふるまうと木の根を喰わせられたと誤解を招いたりする。なお、若い葉は食べるそうだ。
  野菜の牛蒡に対して、山ごぼうなるものがある。味噌漬けやたまり漬けにすると美味であるが、この山ごぼうはモリアザミなどのアザミの仲間の根である。実は牛蒡はアザミと同じキク科の植物で、花はアザミとよく似ている。しかし、この山ごぼうは食物の名称であって、植物の名称ではない。
  植物名のヤマゴボウは、ヤマゴボウ科、ヤマゴボウ属にヤマゴボウ(中国原産)があり、立派な根を持っている。江戸時代に食用として導入されたが、今では、わずかに日本で野生化している。日本産ではマルミノヤマゴボウがあるが数は少ないようで、いたるところに見るのは北アメリカ産のヨウシュヤマゴボウだ。
  ごぼうの名を持つ日本の植物としては、他にアブラナ科のスカシタゴボウ、サクラソウ科のミヤマタゴボウ(別名ギンレイカ)がある。さらに、帰化植物にはアカバナ科のヒレタゴボウ、タゴボウモドキがある。タゴボウとはアカバナ科のチョウジタデの別名で根が牛蒡に似ているからという。

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ヨウシュヤマゴボウ 2011.9.10. 大阪府堺市

こうじゅ [か行]

  「こうじゅ」は生薬の「香薷」のこと。発汗・解熱、利尿などの作用がある。基原植物はシソ科の海州香薷(Elsholtzia splendens )で、全草を乾燥したものが生薬「香薷」である。日本ではナギナタコウジュ(Elsholtzia ciliate )やフトボナギナタコウジュ(Elsholtzia nipponica )が用いられる。海州香薷は中国名であり、この植物の日本での自生はないとされていたが、1992年に長野県で発見されニシキコウジュという和名が付けられた。
  シソ科には、これらナギナタコウジュ属(Elsholtzia )のほかにもコウジュが付く植物があり、ヤエヤマスズコウジュ、イヌコウジュ、スズコウジュ、ミゾコウジュがあげられる。これらをコウジュに似ているからと片づけるのは簡単だが、似ているかどうかは微妙だ。

<コウジュを名に持つ日本の植物>、
ナギナタコウジュ属:ナギナタコウジュ、フトボナギナタコウジュ、ニシキコウジュ(ニシキナギナタコウジュ)、カキドオシ属:ヤエヤマスズコウジュ、イヌコウジュ属:イヌコウジュ、スズコウジュ属:スズコウジュ、アキギリ属:ミゾコウジュ
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ミゾコウジュ 2006.6.3 岐阜県可児市可児川

からす [か行]

  カラスといえば野鳥のカラス(鴉、烏)で、植物名に付いた場合の意味は、おおむね、人には使えないが雀には大きすぎるという、機能&大きさの尺度になっている。その他にも鴉の羽のように色が黒いという意味もある。鴉がよく食べるという意味で付いたという説もあるが、これは少々あやしい。
  鴉と雀が両方存在する植物には、カラスノエンドウvsスズメノエンドウ、カラスノチャヒキvsスズメノチャヒキ、カラスウリvsスズメウリ、の3組がある。鴉と雀の名が同時に発生するとは考えづらいので、どちらかがあって、それに対してという順番があるはずである。さて、先に名が付いたのはどちらの野鳥だろう。
  カラスノエンドウは実が鴉のように黒いからカラスが付き、それに対して小さいのでスズメノエンドウができたと考えられるので、エンドウは鴉が先。ちなみに鴉と雀の中間としてカスマグサが3番手。
  スズメノチャヒキは在来種だが、カラスノチャヒキは大正時代に渡来した新参者なので、チャヒキは雀が先。なおス  ズメノチャヒキは、チャヒキグサ(カラスムギの別名)に対して名前が付いたという説があり鴉⇒雀⇒鴉となる。
  スズメウリに独自の由来が見つからないので鴉が先と思うが、カラスウリの由来には諸説ある。大言海の鴉が食べるからというのはあやしい説である。あれだけ目立っておいしそうなのに人が食べられないから「鴉」で十分説得力があると思うが、実の色からの「唐朱(中国製の朱墨)」説(中村浩、植物名の由来)も魅力的である。
  なお、カラスキバサンキライという植物がある。これは「鴉牙」ではなく「唐鋤葉」の意で、葉の形が牛に牽かせる農耕具の牛鍬(うしぐわ)とも呼ばれる唐鋤に似ているからである。

<カラスを名に持つ植物>
カラスノエンドウ、カラスザンショウ、トゲナシカラスザンショウ、ケカラスザンショウ、コカラスザンショウ、ヤクシマカラスザンショウ、カラスノゴマ、アオカラスノゴマ、カラスシキミ、ムニンカラスウリ、オオカラスウリ、カラスウリ、キカラスウリ、リュウキュウカラスウリ、モミジカラスウリ、ケカラスウリ、ミナトカラスムギ、カラスムギ、マカラスムギ、オニカラスムギ、カラスノチャヒキ、カラスビシャク

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カラスビシャク 2011.9.10 堺市

がが [か行]

  「がが」が付く植物は、ガガブタ、ガガイモとその品種のシロバナガガイモの3種である。
  まずはガガイモだが、古名をカガミといい、その名を古事記にみることができる。その登場場面は、オオクニヌシ(大国主)といっしょに国づくりを行うスクナビコナ(少名毘古那)という小さな神様が、ガガイモの実の船に乗って現れるシーンで、口語訳古事記(三浦佑之、文芸春秋)から引用すると、“オオクニヌシが、出雲の美保の岬にいました時じゃが、波の穂の上を、アメノカガミ船に乗っての、ヒムシの皮をそっくり剝いで、その剝いだ皮を衣に着て依り来る神があったのじゃ。”とある。このアメノカガミ船が、ガガイモ(羅魔)の実を2つに割った「天之羅魔船」である。なお「ヒムシ」は蛾のこと。
  カガミがカガミイモとなり、転じてガガイモになったとされており、「がが」は「かがみ」ということになる。「羅魔」はガガイモの漢名であって、読みとは関係がない。では「かがみ」はいったい何を意味しているのだろうか。「鏡」という説が多く、「野草の名前」の高橋氏は若い実の内側が銀白色であるからという。「植物名の由来」の中村氏は、冠毛を取り除いた種の形からゴマミ(胡麻実)転訛説を唱える。なぜ若い実なのか、なぜ冠毛を取り除いた種なのか疑問が残る。
  次いでガガブタだが、丸い光沢のある葉を鏡とみたてる名前は、イワカガミやトチカガミにあるが、酒樽の蓋を鏡あるいは鏡蓋というので、ガガブタは酒樽の蓋から来ているのかもしれない。
  ガガブタが鏡蓋なら、やはりガガイモは鏡芋であってほしい。
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ガガイモ 2008.8.31 伊吹山
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ガガブタ 2010.8.2 犬山市(栽培)




がんぴ [か行]

  岐阜に、水に浸して扇いで涼をとったという風雅な「うちわ」がある。水うちわと呼ばれるこのうちわには、半透明の手すきの美濃和紙が貼られている。この和紙は「雁皮紙(がんぴし)」という最高級の和紙で、古くは遣唐使となった最澄により中国への土産として持参され、また第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約の条文用紙には、鳥の子紙という越前産の雁皮紙が使用された。回りくどい説明となったが、この雁皮紙の原料がジンチョウゲ科の落葉低木「ガンピ」である。雁皮は当て字である。そもそもガンピは何かというと、雁皮紙を古くは「斐(ひ)」といい、そこから「紙斐(かみひ)」という言い方が生まれ、転訛して「がんぴ」となったと「大言海」には記載されているが、他の説もある。
  ガンピが付く植物はジンチョウゲ科にガンピの他、12種 [シャクナンガンピ、ミヤマガンピ、コガンピ、タカクマキガンピ、サクラガンピ、オオシマガンピ、ミトガンピ、キガンピ、ウスゲキガンピ、シマサクラガンピ、オガサワラガンピ、アオガンピ] がある。多くは紙の原料となるようだが、コガンピは紙にならないのでイヌガンピの別名がある。ミソハギ科のミズガンピは、沖縄の海浜植物であり、同じく沖縄の海浜植物のアオガンピに似ているから。
  また、ナデシコ科にセンジュガンピがあるが、これは中国産の園芸植物「岩菲(ガンピ)」の仲間である。こちらの岩菲の由来についても定説はない。中国ではガンピのことを剪春羅や剪夏羅と呼んでおり、岩菲は日本で着けられた名前のようである。「菲」は中国ではダイコンやオオアラセイトウのことを指すようであり、花が似ていないこともない。しかし、岩菲は岩場に咲く花ではないので、命名者の意図がつかめない。

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ガンピ 2010.5.29 愛知県犬山市八曽山




きつね [か行]

  狐と狸は化かしあいのいいライバルであるが、植物リストへの登場数を見てみると、キツネは基本となる7種とその変化形を合わせて22種。狸は同じく6種と22種であり、ここでもいい勝負となっている。
  植物名に動物名が付く場合は、植物と動物の姿形のどこかが似ている場合、擬人化して動物が使う小さな道具などにたとえる場合、そして特別な意味を持たせる場合(たとえば「役にたたない」という意味での犬など)がある。
  キツネの場合は、キツネヤナギ、キツネガヤが類似派、キツネノボタン(釦)、キツネノカミソリ(剃刀)が擬人派となる。タヌキではどうかというと、タヌキマメ、タヌキコマツナギ、タヌキモ、タヌキアヤメ、タヌキランが類似派、タヌキノショクダイ(燭台)が擬人派となる。
  残っているキツネノマゴ、キツネアザミ、キツネタンポポは何かというと、まやかし派かもしれない。キツネノマゴは「狐の孫」と読んで「小さい小さい狐の尻尾の花」と解釈したいが、今のところ由来に定説はない。困ったことに最近のネット上では、キツネノゴマ(胡麻)に化けていることが多い。キツネアザミは「狐の眉掃き(眉に着いた白粉を掃い落す刷毛)」という別名がある擬人派なのだが、アザミに似ているがアザミではなく、化かされたようだと牧野図鑑にはある。そしてキツネタンポポはというと図鑑に姿がない。大井次三郎の日本植物誌顕花編に「花茎は・・・著しき毛あり、」との記述があり、類似派だろうと思われるが、今時、誰のカメラの前にも現れぬとは見事な化けっぷりだ。

<狐一族>
キツネヤナギ、サイコクキツネヤナギ、カンサイキツネヤナギ、シバキツネヤナギ、ミヤマキツネヤナギ、ミチノクキツネヤナギ。キツネノボタン、ケキツネノボタン、コキツネノボタン、ツルキツネノボタン、トゲミノキツネノボタン、シマキツネノボタン、ヒメキツネノボタン。キツネノマゴ、シロバナキツネノマゴ、キツネノヒマゴ。キツネアザミ、エゾノキツネアザミ。キツネタンポポキツネノカミソリ、オオキツネノカミソリ。キツネガヤ

<狸一族>
タヌキマメ、ヤエヤマタヌキマメ、エダウチタヌキマメ。タヌキコマツナギタヌキモ、ノタヌキモ、モンナシノタヌキモ、フサタヌキモ、ミカワタヌキモ、コタヌキモ、ヒメタヌキモ、ヤチマタヌキモ、イヌタヌキモ。タヌキノショクダイ、キリシマタヌキノショヨクダイ。タヌキアヤメタヌキラン、ヤマタヌキラン、コタヌキラン、シマタヌキラン、オオタヌキラン。

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キツネアザミ 2008.5.4 愛知県犬山市八曽山




かわら [か行]

  多かれ少なかれ、植物はその生育する環境を指標していると考えてよい。言い換えれば、特定の植物は特定の環境と結びついている。そのわかりやすい例がこの「かわら(河原)」である。丸い石がゴロゴロとし、しばしば水をかぶるような石の河原に「カワラ・・・」という植物がいる。そこは増水のたびに土砂が堆積し、次第にいろんな植物が住めるようになるのだが、大きな洪水でまた石の河原に戻ってしまう。そんなダイナミック環境で生きているのが、「カワラ・・・」という植物たちである。一例をあげるならカワラナデシコ。ナデシコの仲間に関しては、このカワラナデシコが代表格で、単にナデシコ、あるいはヤマトナデシコといえばこの河原の住人を指す。このナデシコの仲間、海へ行けばハマナデシコ(フジナデシコ)、山へ行けばミヤマナデシコ(シナノナデシコ)、さらに高みに登ればタカネナデシコと、姿を変え、名を変え生きている。

<カワラを名に持つ植物>
ミヤマカワラハンノキ、カワラハンノキ、ケカワラハンノキ、エゾカワラナデシコ、ヒロハノカワラナデシコ、カワラナデシコ、カワラアカザ、カワラサイコ、ヒロハノカワラサイコ、タイワンカワラケツメイ、カワラケツメイ、カワラボウフウ、キバナカワラマツバ、カワラマツバ、エゾノカワラマツバ、チヨウセンカワラマツバ、カワラハハコ、カワラニンジン、カワラヨモギ、カワラノギク、ツルカワラニガナ、カワラニガナ、カワラスゲ、カワラスガナ
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カワラナデシコ 2010.8.21 伊吹山



くり [か行]

  「くり」は食べる栗のこと。今では名のない植物などないが、その昔、植物に名前が付け始められた頃、まずは食用となる植物から名前が付いたと考えるのが妥当である。「くり」、「もも」、「なし」などが食べられる実の基本名称として古くに生まれたと考えられ、似たような形のものが、〇〇くり、〇〇もも、〇〇なしというふうに呼ばれていく。
  言葉の音としての「くり」は色彩の黒が変化したものというのが有力な説であるが、〇〇くりという使われ方からは「くり」は堅い皮に覆われた食べられる実という解釈ができる。トチノキの実はトチグリ、シイ、カシの実はドングリ、海辺の貝にもハマグリがある。なおドングリは、「円い」という意味の朝鮮語の「トングル」からという説も有力である。
  「くり」という言葉が使われる植物には、食べられる実という意味で使われたと考えられるものと、イガの着いた実や葉の形が似ているため、と考えられるものがある。葉の形から来ているのはシダ植物のクリハランの仲間、イガの実の形から来ているものはミクリ(実栗)の仲間とミクリゼキショウの仲間のほか、ミクリガヤがある。クリイロスゲは実の色が似ているとか。
  食べられる実としての「くり」は、本家本元のクリとその品種のトゲナシグリ。ツチグリ、ミツバツチグリ、オオミツバツチグリのツチグリの仲間3種。そしてカタクリである。
  ツチグリは「土栗」の意でその根茎が食べられる。なおミツバツチグリは食べないようだ。
  カタクリは、漢字表記は「片栗」とされるが、由来は諸説紛々である。かいつまんで説明すると、万葉集に登場する「かたかご(堅香子)」がカタクリの古名とされ、カタクリは、「かたかご」が転訛したという説と、食用となる鱗茎の形状からきた別名という説がある。転訛説では、「かたかご」は『片葉鹿子(かたはかのこ)』の意味で、カタクリは、初めは葉が1枚で、まだら模様があるからという。一方、別名説では、「かたかご」は花の姿が『傾いた籠』に似ていることに由来しているといい、本来はコバイモの仲間を指したとする。食用となるコバイモの鱗茎の形が、丸いイガ栗の中身を2つに割ったようなので「かたくり(片栗)」という別名が生まれ、そして、コバイモの取れない地方では、現在のカタクリが代用品となり、カタクリの名が定着したとする。
 「くり」が堅い円い実を表すという立場をとるならば、別名説を支持したいが、コバイモの代用品がカタクリであるということは、証明の難しいところである。

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カタクリ 2007.3.31 岐阜県可児市鳩吹山

こうぼう [か行]

  環境庁の植物リスト1988には、「こうぼう」を名に持つ植物が、イネ科に8種、カヤツリグサ科に3種記載されている。
  イネ科の「こうぼう」は「香茅」と書いていい香りがするカヤの意味であり、乾燥させるとクマリン臭(桜餅の葉の香り)がする。⇒タカネコウボウ、イシヅチコウボウ、ミヤマコウボウ、オオミヤマコウボウ、コウボウ、エゾコウボウ、エゾヤマコウボウ、セイヨウコウボウ(外来種)
  カヤツリグサ科の「こうぼう」には、コウボウムギ、その北方タイプであるエゾノコウボウムギ、そして姿が似ているが小さめのコウボウシバがある。いずれも海浜植物で、砂浜に埋もれるように生きている。この「こうぼう」は、真言宗の開祖である弘法大師空海(774~835)の「弘法」であり、この点について異論を唱えるものはいないが、この植物と弘法大師がどうして結びつくかという点ではいろいろと説がある
  コウボウムギは雌雄異株なのだが、どちらの株も砂の中から一本の茎を立ち上げ花をつける。雄花は一本の筆のように見える。筆といえば弘法大師、三筆の一人とされる能書家で、「弘法も筆の誤り」、「弘法筆を選ばず」ということわざは説明するまでもないだろう。一方、雌花は麦の穂に似ている。これらを合わせればコウボウムギというわけだ。
  しかし、筆の由来は雄花ではなく、茎の節にある毛のような古い葉鞘を筆に見立てたものだという説もあれば、見立てたのではなく実際に筆にしていたものだという説もあり、コウボウムギの別名をフデクサという。万葉の歌人柿本人麻呂は筆を作るためコウボウムギを栽培したといい、島根県江津市真島ではコウボウムギから作る筆を人麻呂筆と呼んだという。人麻呂は天武朝(673~686)から持統朝(686~697)の役人で、石見の国(現島根県西部)に赴任しそこで没したといわれる。弘法大師より少し古い時代のことなので、フデクサから後にコウボウとなったといえないこともない。
  はたまた、筆とは関係ないという説もある。弘法大師は伝説に満ち溢れた人物であり、全国いたるところに井戸を掘りあて、温泉を見つけ出し、寺院を建立している。薬草や作物もしかり、貧窮する庶民を救うありがたい知恵を授けていただいたのはいつのまにか弘法大師となるようである。カワラケツメイ(マメ科一年草)の葉をお茶にしたものは弘法茶と呼ばれ、ヒエの代用となるシコクビエのことを弘法稗という。これらには、弘法大師が飲んだとか、四国から持ってきたとかいういわれが伝わっている。そして弘法麦といえば、弘法大師が飛砂防止のために植えたという。あるいは、その実はかつて食用にされたといい、不毛の砂浜に麦よりも大きい実を実らせるのは弘法様の徳による仏のお慈悲とも。
  いずれにしても伝説まじりの話、好きな物語を選ばれたし。
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コウボウムギ 2010.6.6. 愛知県常滑市蒲池海岸



けまん [か行]

  けまん(華鬘)は、仏殿内陣の長押(なげし)などに掛ける飾りのこと。多くは団扇型をしていて、唐草や蓮華の透かし彫りが施されている。「けまん」を名に持つ日本の植物は、ケシ科キケマン属にキケマンほか16種が数えられる。これら16種はいずれも似かよった姿をしており、いずれも華鬘には似ていない。一方、ケシ科コマクサ属に中国原産のケマンソウがあり、この花は確かに華鬘に似ている。キケマンの名はその葉がケマンソウに似ているとこらからだろうか。
  似てる似てないの評価は分かれると思うが、仏教に関連する道具類に由来する植物名は多い。クリンソウのくりん(九輪)は、五重塔などの屋根から天に向かって突き出たアンテナのような金属製の部分(正確にはその一部)。ウシノシッペイのしっぺい(竹篦)は、禅宗のお寺で、座禅修行の際に、修行者の肩を打つ竹製のへら。ニョイスミレのにょい(如意)はお坊さんが読経のときなどに持つ孫の手のような棒。ホウチャクソウのほうちゃく(宝鐸)はお堂の軒の四隅に吊るす大形の鈴。ハマボッスのほっす(払子)はお坊さんが持っているはたきのようなもの。ヨウラクツツジのようらく(瓔珞)は、仏像が身に着ける首飾り。ワニグチソウのわにぐち(鰐口)はお寺の正面の軒先に吊るして縄で打ち鳴らす鈴のようなもの。いずれも見たことはあっても、その名前までは知らないのが普通のもの。植物に名前をつけたのはお坊さんが多かったのだろうか。

<ケマンを名に持つ日本の植物>
エゾオオケマン、ツクシキケマン、ムニンキケマン、キケマン、ヒゴキケマン、ムラサキケマン、シロヤブケマン、ヒメキケマン、ツルキケマン、ヤマキケマン、フウロケマン、ミヤマキケマン、ホザキキケマン、ナガミノツルキケマン、エゾキケマン、シマキケマン。
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キケマン 2008.5.6 愛知県南知多町羽豆岬
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ケマンソウ 2010.5.2 岐阜県可児市花フェスタ記念公園(栽培)



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