SSブログ

いちい [あ行]

 聖徳太子が両手に抱き胸にかざしているヘラ状のものを笏(しゃく)という。公家が礼装の際に用いる道具であり木や象牙で作られるが、歴代天皇が即位の際に用いる笏は古来イチイ(一位)という樹木からつくられ、令和の今日に至るまで岐阜県の飛騨一宮水無神社から献上されている。水無神社の奥宮がある位山(くらいやま)にはイチイの原生林があり、このイチイから作られる笏が良質であることから、その昔、天皇がこの樹に正一位の官位を与えたという言い伝えがあり、それが樹の名前となり、さらに山の名前となったという。それがいつのことかというと、水無神社に残る記録からは二条天皇の即位(平治元年、1159)まで遡ることができるが、階位を与えた天皇は仁徳とも天智ともいわれ定かではない。樹木に官位を与えることなどあるわけがないと否定するより、スケールの大きい言い伝えとして楽しむべきことかと思う。
 一位という名を持つ植物にもうひとつイチイガシがある。イチイと同様に笏の材料となったようだが、共通点は材が赤いということ。吉田(2001)は、イチイはイチヒ(甚緋)が転訛したもので、材が甚だしく赤いことを由来としている。イチイの代用品だからイチイガシなのか、材が赤いからなのか、どちらでもよしとしよう。

*吉田金彦、「語源辞典植物編」、東京堂出版、2001

イチイガシ20220424奈良公園S.jpg
イチイガシ 2022.4.24 奈良公園
nice!(0)  コメント(0) 

ふし [は行]

 江戸中頃の百科事典といえる「和漢三才図会」(寺島良安、1712)の「塩(鹽)麩子」という見出し語に、「ふし」と仮名がふられ、俗に奴留天(ぬるて)と云う、とある。現在のヌルデである。ヌルデという樹木に、ヌルデシロアブラムシが寄生し、ヌルデミミフシという虫こぶ(虫えい)を作る。これを「五倍子」といい、「ふし」と読む。ヌルデは「ふし」あるいは「ふしのき」と呼ばれた。五倍子には多量のタンニンが含まれており、染料やお歯黒の原料として利用された。「ふし」の代用品として使用されたのがキブシ(木附子)や、ヤシャブシ(矢車附子/夜叉五倍子)の果実である。「ふし」には五倍子、附子、膚子など多数の漢字が充てられているが、附子は「ぶし」と読めばトリカブトの毒を意味する(「ぶし」の項参照)。なお「ふし」という音を含む植物名の多くは「節」を意味しており、五倍子を意味するのは、ヌルデとキブシとヤシャブシの仲間のみである。

参考文献
・薄葉重、虫こぶハンドブック、文一総合出版、2003.
・山崎青樹、草木染染料植物図鑑1、美術出版社、2012.

<ふし(五倍子)を名に持つ植物>
ヌルデの仲間:フシノキ(ヌルデ)、タイワンフシノキ.キブシの仲間:キブシ、マルバキブシ、ナンバンキブシ、ケキブシ、ヒメキブシ.ヤシャブシの仲間:ヤシャブシ、ミヤマヤシャブシ、アイノコヤシャブシ、タルミヤシャブシ、ヒメヤシャブシ、オオバヤシャブシ.

キブシ20220403雪彦山S.jpg
キブシ 2022.4.3 雪彦山
nice!(0)  コメント(0) 

ばいも [は行]

 コバイモという種群がある。カタカナの表記からは「コバ芋」やら「コバイ藻」を想像してしまうが、実は小さい貝母の「小貝母」である。貝母は、鎮咳・去痰などの薬効を持つ生薬であり、ユリ科バイモ属のアミガサユリFritillaria verticillata var. thunbergii(中国名:浙貝母)の球根(麟茎)である。白色の鱗片2枚が貝のように合わさり、間に子供の球根ができるのでこの名がある。日本に自生はなく、日本にあるのは同属のコバイモ8種である。バイモ属の学名のFritillariaはサイコロのツボの意で花の形から来ている。前川文夫はこの花を傾いた籠と見て、万葉集に現れ、定説ではカタクリの古称とされている堅香子(かたかご)をコバイモだとし、コバイモの麟茎が2つに割れた形から着いた別称がカタクリ(片栗)と唱えた。つまり堅香子=片栗であるが、片栗は小貝母の古称であり、現在のカタクリは、食用とされた小貝母の減少により代用品となって名を継いだとしている。とても説得力のある説である(クリの項参照)。

参考文献
・原島広至、生薬単、NTS、2007.
・前川文夫、植物の名前の話、八坂書房1994.

<ばいもを名に持つ植物>
ホソバナコバイモ、イズモコバイモ、ミノコバイモ、カイコバイモ、コシノコバイモ、アワコバイモ、トサコバイモ、トクシマコバイモ

トクシマコバイモ20220409大河原高原S.jpg
トクシマコバイモ 2022.4.9 大河原高原

nice!(0)  コメント(0) 

みちのく [ま行]

 観光キャンペーンを打つなら『東北へ行こう!』より『みちのくへ行こう!』の方が情緒ある旅に聞こえる。そんなこともあってか、現代では「みちのく」といえば東北地方というイメージがある。しかし、東北地方は、江戸時代には現在の青森・岩手・宮城・福島県域の奥州こと陸奥国(むつのくに)と、秋田・山形県域の羽州こと出羽国(でわのくに)からなり、みちのくは陸奥国の別称であった。陸奥は古くは道奥と表記され平安時代には「みちのく」と読まれているが、律令制に基づく国が地方に配置された時代は、まだ東北地方すべてが大和の政権に従っていたわけではなく、大宝律令制定(701年)の頃の陸奥国は福島県以北の辺境の地であり、実際の支配範囲は宮城県南部までと考えられている。その後日本海側に山形県以北の辺境の地である出羽国がおかれ、江戸期に繋がる国の形ができるのは鎌倉時代に入ってからのことである。
 植物名に地理的な分布の意味を持たせるため律令国の名をつけることが多いと聞く、現在の都道府県境よりもより地形・地理を反映するものであるからだろう。実際に、「みちのく」、「むつ」、「では」を名に持つ植物種を数えると、それぞれ14、2、3種。明治の初めには、出羽は羽前・羽後の2国に、陸奥は陸奥・陸中・陸前・磐城・岩代の5国に分割されているので、これらについてみると、羽前:0、羽後ウゴ:3、陸奥:2、陸中:2、陸前:0、磐城:4、岩代:1。現在の県名についてみると、山形:0、秋田:2、青森:4、岩手:5、宮城:1、福島:2となる。「みちのく」だけが多いのは範囲が広いからだろうか。ならば東北と奥羽はというとどちらも0である。植物名つけるなら『トウホク○○』より『ミチノク○○』の方が・・・。

<みちのくの国と県名を持つ植物>
みちのく:ミチノクシロヤナギ、ミチノクキツネヤナギ、ミチノクサイシン、ミチノクエンゴサク、ミチノクネコノメソウ、ミチノクナシ、ミチノクアキグミ、ミチノクコザクラ、ミチノクコゴメグサ、ミチノククワガタ、ミチノクヤマタバコ、ミチノクフクジュソウ、ミチノクハリスゲ、ミチノクホンモンジスゲ.陸奥(むつ):ムツアカバナ、ムツノガリヤス.陸中:リクチュウナナカマド、リクチュウダケ.陸前:なし.磐城:イワキハンノキ、イワキハグマ、イワキノガリヤス、イワキアブラガヤ.岩代:なし.出羽:デワノハゴロモナナカマド、デワノトネリコ、デワノタツナミソウ.羽前:なし.羽後:ウゴツクバネウツギ、ウゴアザミ、ウゴシオギク.青森:アオモリミミナグサ、アオモリマンテマ、アオモリトドマツ(オオシラビソの別名)、ホソミノアオモリトドマツ.岩手:イワテハタザオ、イワテヤマナシ、イワテシオガマ、イワテヒゴタイ、イワテザサ.宮城:ミヤギノハギ.福島:フクシマナライシダ、フクシマシャジン.秋田:アキタブキ、アキタテンナンショウ.山形:なし.

ミチノクエンゴサク20220325バンビライン.jpg
ミチノクエンゴサク 2022.3.25 勝山市バンビライン

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。