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くまがい [か行]

  クマガイソウの名の由来となった熊谷次郎直実(くまがいじろう なおざね、1141~1207)は、一ノ谷の合戦で平敦盛(たいらの あつもり、1169~1184)を討ち取った源氏方の武将である。打ち取られた敦盛はクマガイソウと近縁のアツモリソウに名を残す。なぜ武将の名が花に付いたかいえば、騎馬武者が後ろからの矢を防ぐために背負った「母衣(ほろ)」という布袋状の武具に花の形が似ているからである。あまたある武将の中から、なぜこの二人が選ばれたかといえば、平家物語の巻第九の敦盛最期のエピソードにより、この二人は、源頼朝や平清盛に劣らぬ有名人であったからである。
  敗走中にもかかわらず直実の呼びかけに応じ一騎打ちに臨む敦盛。敦盛を組み伏しいざ首をかかんとするが、敦盛の数え17才の紅顔を見て躊躇する直実。落ち延ばそうとするが二心ありかと疑う周囲の目に逆らえず、やむなく首をはねる直実。出家する直実、亡霊となる敦盛という後日談も加え、無常観に満ちたこの物語は、後に能などで演じられるようになる。
  さて、騎馬武者が矢を打ち合う源平合戦当時の戦闘スタイルでは、母衣は効果的な防御となったようであるが、槍や鉄砲の戦国時代にはその役割を変え名誉の軍装となる。織田信長は側近にのみ母衣の着用を許し、黒母衣衆、赤母衣衆という精鋭部隊を作った。赤母衣衆の筆頭が後に加賀領主となる前田利家である。金沢百万石まつりの行列には、真っ赤な母衣をまとった赤母衣衆を見ることができる。もしクマガイソウの花が赤ならば、トシイエソウとなったかもしれない
<くまがい一族> 
 クマガイソウ、エゾノクマガイソウ、キバナクマガイソウ

クマガイソウ20130503八王子市南浅川町入沢.JPG
クマガイソウ 2013.5.3 東京都八王子市
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