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みちのく [ま行]

 観光キャンペーンを打つなら『東北へ行こう!』より『みちのくへ行こう!』の方が情緒ある旅に聞こえる。そんなこともあってか、現代では「みちのく」といえば東北地方というイメージがある。しかし、東北地方は、江戸時代には現在の青森・岩手・宮城・福島県域の奥州こと陸奥国(むつのくに)と、秋田・山形県域の羽州こと出羽国(でわのくに)からなり、みちのくは陸奥国の別称であった。陸奥は古くは道奥と表記され平安時代には「みちのく」と読まれているが、律令制に基づく国が地方に配置された時代は、まだ東北地方すべてが大和の政権に従っていたわけではなく、大宝律令制定(701年)の頃の陸奥国は福島県以北の辺境の地であり、実際の支配範囲は宮城県南部までと考えられている。その後日本海側に山形県以北の辺境の地である出羽国がおかれ、江戸期に繋がる国の形ができるのは鎌倉時代に入ってからのことである。
 植物名に地理的な分布の意味を持たせるため律令国の名をつけることが多いと聞く、現在の都道府県境よりもより地形・地理を反映するものであるからだろう。実際に、「みちのく」、「むつ」、「では」を名に持つ植物種を数えると、それぞれ14、2、3種。明治の初めには、出羽は羽前・羽後の2国に、陸奥は陸奥・陸中・陸前・磐城・岩代の5国に分割されているので、これらについてみると、羽前:0、羽後ウゴ:3、陸奥:2、陸中:2、陸前:0、磐城:4、岩代:1。現在の県名についてみると、山形:0、秋田:2、青森:4、岩手:5、宮城:1、福島:2となる。「みちのく」だけが多いのは範囲が広いからだろうか。ならば東北と奥羽はというとどちらも0である。植物名つけるなら『トウホク○○』より『ミチノク○○』の方が・・・。

<みちのくの国と県名を持つ植物>
みちのく:ミチノクシロヤナギ、ミチノクキツネヤナギ、ミチノクサイシン、ミチノクエンゴサク、ミチノクネコノメソウ、ミチノクナシ、ミチノクアキグミ、ミチノクコザクラ、ミチノクコゴメグサ、ミチノククワガタ、ミチノクヤマタバコ、ミチノクフクジュソウ、ミチノクハリスゲ、ミチノクホンモンジスゲ.陸奥(むつ):ムツアカバナ、ムツノガリヤス.陸中:リクチュウナナカマド、リクチュウダケ.陸前:なし.磐城:イワキハンノキ、イワキハグマ、イワキノガリヤス、イワキアブラガヤ.岩代:なし.出羽:デワノハゴロモナナカマド、デワノトネリコ、デワノタツナミソウ.羽前:なし.羽後:ウゴツクバネウツギ、ウゴアザミ、ウゴシオギク.青森:アオモリミミナグサ、アオモリマンテマ、アオモリトドマツ(オオシラビソの別名)、ホソミノアオモリトドマツ.岩手:イワテハタザオ、イワテヤマナシ、イワテシオガマ、イワテヒゴタイ、イワテザサ.宮城:ミヤギノハギ.福島:フクシマナライシダ、フクシマシャジン.秋田:アキタブキ、アキタテンナンショウ.山形:なし.

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ミチノクエンゴサク 2022.3.25 勝山市バンビライン

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むし [ま行]

 昆虫の名前の着いた植物は多々あり、マツムシソウ、スズムシソウ、トンボソウ、ジガバチソウなどは、分かりやすいが、どんな虫なのか分からないのがいくつかある。まずはムシクサ(虫草)、よく虫こぶが出来ているのでこの名があるのだが、その虫の正体はムシクサコバンゾウムシである。次はムシカリ(別名オオカメノキ)、葉がよく虫に食われるので「虫食われ」が転じたとされ、その虫はというとブチヒゲケブカハムシなどハムシ類。虫にやられてばかりでもなく、虫をやっつけるのがムシトリスミレにムシトリナデシコ、前者はコバエを葉の粘液で捉え吸収する食中植物、後者は茎の上部に帯状の粘着部分があり、〇〇ホイホイのように密泥棒のアリを捕まえる。どうしても虫の種類が解らないものが2つあって、それはカラムシとタムシバ。カラムシは「唐虫」とばかり思っていたらなんと「茎蒸」、茎を蒸して繊維を採って、苧麻とかラミーと呼ばれる織物にするという。タムシバは「田虫葉」と思っていたらこれは「噛む柴」、噛み癖のある柴犬ではなく、甘みがあり香りのよいこの木の小枝を噛んで清涼剤としたそうだ。

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ムシクサ 2006.5.6 各務原市浄水公園
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むしろ [ま行]

 1種類の草花がカーペット状に地を這い地面を覆う光景は、それぞれに素敵なものである。そんな場面をつくるために人が手入れをしているのが庭園やゴルフ場であるが、天然でもカーペットを作る植物は少なからずあり、中には敷物に因んだ名前を持つものがある。キキョウ科のミゾカクシ(溝隠し)は別名をアゼムシロ(畔筵)といい田んぼの畔を薄紫色の花の筵で覆う。バラ科のキジムシロ(雉筵)は草原の黄色い筵。それを使うのは言うまでもなく野鳥のキジ。水面に浮かぶ筵はヒルムシロ科ヒルムシロ(蛭筵)。それを使うのはなんと吸血動物のヒル。筵はワラを編んだ質素な敷物だが、高級な敷物といえばイグサを編んだ茣蓙(ござ)で、蛇の寝床となるメシダ科のヘビノネゴザ(蛇の寝茣蓙)があり、さらに豪華な敷物といえば毛氈(もうせん)で、食虫植物のモウセンゴケ科モウセンゴケの仲間は、赤く色着き緋毛氈となる。

<敷物になる植物>
筵:アゼムシロ、キジムシロ、ツルキジムシロ、ナガバツルキジムシロ、ヒメツルキジムシロ、エチゴキジムシロ、エチゴツルキジムシロ、マルバハタケムシロ、ホソバヒルムシロ、コバノヒルムシロ、ヒルムシロ、フトヒルムシロ、エゾノヒルムシロ、アイノコヒルムシロ、オヒルムシロ.茣蓙:ヘビノネゴザ、ミヤマヘビノネゴザ、ウスバヘビノネゴザ、ヒロハヘビノネゴザ、キリシマヘビノネゴザ.毛氈:モウセンゴケ、コモウセンゴケ、サジバモウセンゴケ、ナガバノモウセンゴケ.

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アゼムシロ 2015.8.30 富田林市

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まつむし [ま行]

 マツムシソウ(松虫草)の名の由来に、松虫が鳴く頃に花が咲くからと説く書があるが、それでは秋の花はみんなマツムシソウになってしまう。この松虫は歌舞伎で巡礼の登場シーンなどに鳴らされる鉦のことである。松虫鉦は床に置いて叩いて使う伏鉦の一種で、その音が松虫の声に似ていることからこの名がついた。仏壇のお鈴(りん)を伏せた形、特に表面に槌目模様がある大徳寺りんなどは、花が終わったマツムシソウの半球状の実と似ている。ところが、実際の松虫鉦、少なくとも現在使われている松虫鉦は半球状ではなく平らなものである。昔は半球状のものがあったのだろうか。松虫の名を持つ植物はマツムシソウ科のマツムシソウとその変種のエゾマツムシソウ、タカネマツムシソウの3種である。蛇足となるが、現在の松虫と鈴虫の名称は入れ替わったもので、昔は逆であったそうだ。そういわれると松虫鉦の音色は鈴虫の声に似ているようにも思えてくる。鈴虫の名を持つ植物にはキツネノマゴ科のスズムシバナとラン科のスズムシソウの仲間があり、スズムシソウの花は鈴虫に似ている。スズムシバナはといえば鈴虫が鳴く頃に花が・・・。

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マツムシソウ 2021.9.25 和歌山県生石高原

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松虫(石川県立音楽堂にて)

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まん [ま行]

 植物名で数え歌を作るなら。♪葉っぱが一枚ヒトツバ(一つ葉)さん、二枚の葉っぱのフタバラン(二葉蘭)、三はおいしいミツバ(三つ葉)だよ、ヨツバムグラ(四つ葉葎)は四枚葉、五でおしまいキタゴヨウ(北五葉)。というわけでこれ以上葉っぱを数えるのは無理。ここからは数字ならよしとして、六:ムツオレグサ(六つ折れ草)、七:ナナカマド(七竈)、八:ヤツデ(八つ手)、九:クリンソウ(九輪草)、十:ジュウモンジシダ(十文字羊歯)。あとは飛び飛びで、十二:ジュウニヒトエ(十二単)、九十九:ツクモグサ(九十九草)、百:ヒャクジツコウ(百日紅、サルスベリの別名)、一気に飛んで、千:センブリ(千振)、そして最大の数は万でこれ以上は見つからない。万が付く植物には、マンネンスギ(万年杉)、マンネングサ(万年草)、マンリョウ(万両)、マンサク(万作)の仲間がいる。またオモトを万年青と書く。いつも青々と元気とか、いつも豊作、お金がいっぱいとか、いずれも縁起のいい植物である。
<万がつく植物>
マンネンスギ/コモチマンネングサ、ナナツガママンネングサ、ハママンネングサ、マツノハマンネングサ、メノマンネングサ、ミヤママンネングサ、オノマンネングサ、マルバマンネングサ、メキシコマンネングサ、ナガサキマンネングサ、ウンゼンマンネングサ、オオメノマンネングサ、ツルマンネングサ、サツママンネングサ、ヤハズマンネングサ、タカネマンネングサ、コゴメマンネングサ、ツシママンネングサ、セトウチマンネングサ、ヒメマンネングサ/マンリョウ、トガリバマンリョウ、ツルマンリョウ/マンサク、アテツマンサク、オオバマンサク、マルバマンサク、ウラジロマルバマンサク、ニシキマンサク、アカバナマンサク、トキワマンサク、ベニバナトキワマンサク

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マンネンスギ 2019.6.17 三重県桧塚奥峰

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もみじ [ま行]

モミジといえばイロハモミジが一番ポピュラーなものだが、このイロハモミジの「もみじ」は動詞「もみづ(紅葉づ/黄葉づ)」に由来し、葉が秋に色着くことを意味している。イロハモミジの別名のタカオカエデの「かえで」は「かえるで(蛙手)」が訛ったものであり、葉の形から付けられた名前である。イロハモミジはカエデ科カエデ属に属しており、分類上 は「かえで」が用いられている。環境省のリストでは、カエデ属には57種の記載があるが、モミジはわずか 7種しかなく、カエデは 31種となっている。ところがカエデ属以外を見てみると、モミジは18種、カエデはカエデドコロ1種のみと大逆転となる。しかしながらこの18種、これといって紅葉が美しいわけではなく、カエデのような掌状の葉を持っているのでモミジの名が付いたのである。「もみじ」も「かえで」も本来の字義が失われ、単に同一の植物グループ名を表わす用語となってしまうのだろうか。

<もみじの付く植物>
カエデ属:モミジハウチワ、イロハモミジ、オオモミジ、ヒロハモミジ、フカギレオオモミジ、ヤマモミジ、ナンブコハモミジ.その他:モミジカラマツ、オクモミジカラマツ、モミジバショウマ、モミジチャルメルソウ、モミジセンダイソウ、マルバノモミジイチゴ、ナガバモミジイチゴ、モミジイチゴ、ミヤマモミジイチゴ、モミジカラスウリ、モミジウリノキ、モミジチドメ、モミジハグマ、オクモミジハグマ、モミジガサ、モミジコウモリ、テバコモミジガサ、オオモミジガサ.

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イロハモミジ 2008.2.22 犬山市

もどき [ま行]

 似て非なるもの、それは「擬き(もどき)」。環境庁のリストには、「~モドキ」という植物が73種挙げられている。うち梅擬きが19種と最大である。さらにその内訳は、モチノキ科のウメモドキの仲間が5種、ニシキギ科ツルウメモドキの仲間が7種、クロウメモドキ科のクロウメモドキの仲間が7種となっており、姿は似ていても、バラ科のウメとは皆疎遠であるし、お互いにも疎遠である。偽物扱いされている「ニセ~」という植物は5種あり、同じく紛い物扱いされている「~マガイ」は2種、そして、騙されてはいけない「~ダマシ」が1種ある。
<似て非なる者たち>
擬き:フウリンウメモドキ、オクノフウリンウメモドキ、ミヤマウメモドキ、ウメモドキ、イヌウメモドキ、オオバツルウメモドキ、ツルウメモドキ、キミツルウメモドキ、オニツルウメモドキ、ナガバツルウメモドキ、テリハツルウメモドキ、オオツルウメモドキ、クニガミクロウメモドキ、エゾクロウメモドキ、クロウメモドキ、コバノクロウメモドキ、ヒメクロウメモドキ、リュウキュウクロウメモドキ、キビノクロウメモドキ、オオヒゲナガカリヤスモドキ、カリヤスモドキ、シナノカリヤスモドキ、グミモドキ、リュウビンタイモドキ、ヒメホラゴケモドキ、クロガネシダモドキ、ヌカイタチシダモドキ、タニヘゴモドキ、イワヘゴモドキ、ナガサキシダモドキ、マルバヌカイタチシダモドキ、カタイノデモドキ、オオイノデモドキ、イノデモドキ、ウスバシダモドキ、トサノミゾシダモドキ、ミゾシダモドキ、オオヒメワラビモドキ、モンゴリナラモドキ、ヤブマオモドキ、キミズモドキ、オオツメクサモドキ、コブシモドキ、クロボウモドキ、シナクスモドキ、センウズモドキ、ヒハツモドキ、ナンキンナナカマドモドキ、ツゲモドキ、チャンチンモドキ、アカギモドキ、ミヤマハンモドキ、ヒルギモドキ、ノダケモドキ、セリモドキ、アクシバモドキ、サクラソウモドキ、スズメノトウガラシモドキ、ヒシモドキ、ブタクサモドキ、クワモドキ、チチコグサモドキ、ヤブレガサモドキ、クロイヌノヒゲモドキ、イヌノヒゲモドキ、トウツルモドキ、アゼガヤモドキ、ニクキビモドキ、ヤマアワモドキ、ウンヌケモドキ、セトガヤモドキ、サガミランモドキ、ヒトツボクロモドキ
:ニセアミホラゴケ、ニセヨゴレイタチシダ、ニセシケチシダ、ニセシロヤマシダ、ニセコバンソウ
紛い:ヌカイタチシダマガイ、アツギノヌカイタチシダマガイ
騙し:ヒルギダマシ

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ツルウメモドキ 2009.5.11 犬山市(木曽川)

みやこ [ま行]

 日本の都は、過去、何か所も移り変わってきたが、単に「都」といえば、それは京都を意味すると考えるのが普通と思う。植物名に地名が付けば、それは普通、発見された場所や生育分布を表している。「都」が名前に付く植物として基本となるものは15種ほどあげられる。京都には、まちがいなくそれらが生育しているが、京都以外にも広く分布している種が多い。少なくとも近畿一円が生育地となっており、「都」が名前に付くからといって京都の植物とは判じがたい。ならば京都で発見されたかといえば、確かに京都で採取されたものがタイプ標本となっているものが多いようだ。広く分布している植物なら、どこでも採取できるわけだが、京都で採取され、「ミヤコ・・・」と命名されるのは、京都大学の研究者が植物分類研究をリードしてきたからだろう。ミヤコオトギリの学名はHypericum kinashianum Koidz.であり、命名者の略記Koidz.は、京都大学理学部に植物学教室を創設した小泉源一(1883~1953)のことである。植物学研究室からは著名な植物学者が輩出され、ミヤコヤブソテツ(Cyrtomium yamamotoi Tagawa)のTagawaはシダ分類学の田川基二(1908~1977)、ミヤコミズ(Pilea kiotensis Ohwi)のOhwiは「日本植物誌」の著者として知られる大井次三郎のことである。

<都を名に持つ植物>
ミヤコヤブソテツ、ミヤコカナワラビ、ミヤコイヌワラビ、ミヤコヤナギ、ミヤコミズ、ミヤコアオイ、ミヤコオトギリ、ミヤコイバラ、ミヤコグサとその仲間(シロバナミヤコグサ)、ミヤコツツジ、ミヤコナツハゼ、ミヤコアザミ、ビロードミヤコザサ、ミヤコザサとその仲間(アズマミヤコザサ、フシゲミヤコザサ、ナンダイミヤコザサ、ケミヤコザサ、ビッチュウミヤコザサ)、ミヤコダラ(環境省リストでは沖縄地方に生育するリュウキュウハリギリを指しているが、もともとは日本全国に分布するハリギリの別名)

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ミヤコグサ 2013.4.28 和歌山県岩出市根来寺

むにん [ま行]

 漢字では「無人」で、江戸時代の無人島、現在の小笠原の島々を指している。環境庁のリストには35種が記載され、いずれも小笠原に産する植物であり、そのほとんどが小笠原固有種である。発見当時、小笠原特産と考えられ種名にムニンを冠したが、その後広域に分布したことが判明した種もある。また、この35種以外に、新たに小笠原特産種としてムニンの名を持つに至った種もある。
 小笠原群島を英語ではBonin Islands(ボニン・アイランズ)というが、「ボニン」は江戸時代の小笠原群島の呼び名「無人島(ぶにんじま)」に由来する。ムニンの名を持つ植物の多くがラテンの種小名にboninを有している。

<ムニンを和名に持つ植物>
ムニンホラゴケ、ムニンエダウチホングウシダ、ムニンシシラン、ムニンシダ、ムニンヘツカシダ、ムニンベニシダ、ムニンヒメワラビ、ムニンミドリシダ、ムニンサジラン、ムニンクリハラン、ムニンビャクダン、ムニンセンニンソウ、ムニンヒサカキ、ムニンキケマン、ムニンタイトゴメ、ムニンモダマ、ムニンモチ、ムニンイヌツゲ、ムニンカラスウリ、ムニンノボタン、ムニンヤツデ、ムニンハマウド、ムニンシャシャンポ、ムニンノキ、ムニンクロキ、ムニンネズミモチ、ムニンテイカカズラ、ムニンハナガサノキ、ムニンホオズキ、ムニンハダカホオズキ、ムニンナキリスゲ、ムニンテンツキ、ムニンシュスラン、ムニンボウラン、ムニンキヌラン

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ムニンヒサカキ 2012.3.25 東京都文京区小石川植物園(栽培)

もち [ま行]

 “もち”といえば、お米でつくったお餅を思い浮かべるが、植物の名前についた“もち”で、餅といえるのはユキモチソウ(雪餅草)だけのようである。
 モチノキの“もち”は「とりもち(鳥黐)」の意味であり、モチノキの樹皮から鳥黐をつくったことによる。モチノキの他にもツチトリモチは鳥黐の材料となるのでその名がある。これら以外に“もち”がつく植物はモチノキに形状が似ていることに由来するものが多く、バラ科のカナメモチの仲間やホルトノキ科のコバンモチの仲間、モクセイ科のネズミモチの仲間がある。モチツツジは、新芽・蕚などに腺毛が多く鳥黐のようにねばつくことによる。
 上記以外の“もち”は“~もち”という形で使われる「持ち」である。コモチシダ、コモチマンネングサなどの「子持ち」は無性芽やむかごを着けることによる。食虫植物イシモチソウは虫を捕まえる粘液で石も持ち上げるから。オオカサモチには大きな傘のような花序がある。ところが、ミミモチシダAcrostichum aureumには耳がない。学名のaureumは“黄金色の”という意味なのだが、これをauriculatum“耳片のある”と読み違えたのがことの起こりという(岩槻1992)。

<“もち”の付く植物>
(餅)サトイモ科:ユキモチソウ.(黐)モチノキ科モチノキ属:ムニンモチ、シイモチ、アマギヒイラギモチ、ツゲモチ、ツゲモチ、モチノキ、イヌモチ、エナシモチノキ、ナリヒラモチ、ヒメモチ、ホソバヒメモチ、リュウキュウモチ、シマモチ、アツバモチ、クロガネモチ、オオシイバモチ.ツチトリモチ科:キュウシュウツチトリモチ、リュウキュウツチトリモチ、ミヤマツチトリモチ、キイレツチトリモチ、ヤクシマツチトリモチ.バラ科:カナメモチ、オオカナメモチ、シマカナメモチ.ホルトノキ科:コバンモチ、ナガバコバンモチ.モクセイ科:ネズミモチ、シロミネズミモチ、ケネズミモチ、ハイネズミモチ、ムニンネズミモチ.ツツジ科:モチツツジ、シロバナモチツツジ.(子持ち)シシガシラ科:イズコモチシダ、コモチシダ、ハイコモチシダ.オシダ科:コモチイノデ、コモチナナバケシダ.ベンケイソウ科:コモチレンゲ、コモチマンネングサ.キク科:コモチミミコウモリ.イネ科:コモチオオアワガエリ.(石持ち)モウセンゴケ科:ナガバノイシモチソウ、イシモチソウ.(傘持ち)セリ科:オオカサモチ.(耳持ち)イノモトソウ科:ミミモチシダ.

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イシモチソウ 2009.6.4 岐阜県多治見市


もくせい [ま行]

  橙色の花と強い香りで秋を知らせるキンモクセイは漢字で「金木犀」と書く。花の白いギンモクセイは「銀木犀」、黄色のウスギモクセイは「薄黄木犀」である。木犀は中国から伝わった名称であり、単に木犀といえばギンモクセイを指す。
  犀は熱帯の草原に生息する草食獣の「サイ」であり、ギンモクセイの樹皮がサイの皮膚に似ているので木犀と名が付いたといわれる。また、中国ではギンモクセイを桂花あるいは銀桂ともいい、キンモクセイを丹桂、ウスギモクセイを金桂という。日本人と中国人では、色のとらえ方が多少異なるようだ。
  キンモクセイ、ギンモクセイは日本に自生がなく、雄株だけが栽培されているので、実を見ることがない。ウスギモクセイは中国由来と考えられるが、九州に自生があるとも言われている。
  日本自生のモクセイには、シマモクセイ、リュウキュウモクセイ、ヤナギバモクセイ、オオモクセイがあり、中国産のモクセイが日本に伝わった後に付けられた名前であろう。また、ヒイラギモクセイはギンモクセイとヒイラギの雑種と考えられている。
  なお、日本では「桂」はカツラ科の落葉高木のカツラを指す。これは、非常に古い時代に起きた混同であるという。
  ところで、中国には、月には巨大な桂の木が生えているという伝説があり、それを切り倒そうとする人の姿が月面に見えるそうである。この桂の大木は本来モクセイなのだろうが、日本人には樹高30mにも達するカツラの方がしっくりくる。

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キンモクセイ 2011.10.1 大阪府堺市(植栽)


みる [ま行]

  「みる」は浅瀬の岩場に生える海藻の名前である。漢字では「海松」あるいは「水松」と書く。その色は黒味を帯びた緑色、これを「海松色」という。直径1.5~3mm程度の円柱状の枝のようなものが、二股に分岐を繰り返し放射状に広がるようすは、松の枝のようであり、その姿から海松と漢字が当てられている。「みる」自体の語源は定かでないが、古くからある言葉であり、万葉集にも登場し、平安時代には食用として重要な位置にあったようである。現在では食べたことのある人はあまりいないと思うが、韓国ではキムチの材料として用いるようである。
  高等植物で「みる」の名を持つものは、ミルスベリヒユとシロバナミルスベリヒユ(またはシロミルスベリヒユ)。またオカヒジキの別名をミルナ、シチメンソウの別名をミルマツナという。いずれも海浜植物で多肉の棒状の葉を持つ。そして、いずれも塩味がきいていておいしい。姿が似ているのは確かだが、それだけなら、スベリヒユはそもそも多肉で棒状の葉を持つ。ミルマツナでは松がダブルではないか。塩味で食用となるのが「みる」ではないだろうか。

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シロバナミルスベリヒユ 1999.7.2 沖縄県南大東島

めりけん [ま行]

  「アメリカの」あるいは「アメリカ人の」という意味の形容詞Americanをカタカナで書くとき、今ではアメリカンとするが、戦前は耳に聞こえるとおりメリケンと書いた。今ではメリケン粉、メリケン波止場、メリケンサックなどに残るばかりだが、懐古的な響きがある。
アメリカからやってきた帰化植物の名前でアメリカとメリケンどちらが多いかといえば、圧倒的にアメリカで、日本帰化植物写真図鑑(清水矩宏・森田弘彦・廣田伸七、全国農村教育協会、2001)から拾い上げると、22種を数える。
  一方メリケンは、メリケンガヤツリ、メリケンカルカヤ、メリケンニクキビ、メリケンムグラの4種しかない。ならば、この4種が戦前派で、他は戦後派かと問えば、さにあらずメリケン4種は以下のようにいずれも戦後派である。
・メリケンガヤツリ 1950年代
・メリケンカルカヤ 第二次世界大戦後愛知県で発見
・メリケンニクキビ 第二次世界大戦後南西諸島に帰化
・メリケンムグラ 1969年岡山県で発見

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メリケンムグラ 2008.7.19 岐阜県各務原市


むぐら [ま行]

「むぐら」とは、つる草のうち、細かなトゲがあって、他の物によりかかるように繁茂するものを総称している。環境庁のリストには34種の記載がある。代表的なものとしては、クワ科のカナムグラ、アカネ科のヤエムグラがあげられる。
漢字では「葎」と書く。葎は万葉の昔から多くの歌に登場する植物であり、「葎の宿」あるは「葎の門」といえば、葎の生い茂るにまかせた荒れはてた家、貧しい家のことを意味する。

<ムグラを名に持つ日本の植物) クワ科:カナムグラ。アカネ科:ウスユキムグラ、オオフタバムグラ、エゾムグラ、ヒメヨツバムグラ、リュウキュウヨツバムグラ、エゾノヨツバムグラ、ケナシエゾノヨツバムグラ、オオバノヨツバムグラ、ヤクシマムグラ、キクムグラ、ヤブムグラ、ミヤマムグラ、ヤマムグラ、メヤマムグラ、ケナシヤマムグラ、オヤマムグラ、オオバノヤエムグラ、ヤエムグラ、ハナムグラ、ケナシヨツバムグラ、ヨツバムグラ、ケヨツバムグラ、ホソバノヨバムグラ、オククルマムグラ、クルマムグラ、ヤツガタケムグラ、コバンムグラ、フタバムグラ、ナガエフタバムグラ、ソナレムグラ、シマソナレムグラ、オオソナレムグラ、アカネムグラ。
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写真 ヤエムグラ 2011.4.12 堺市

まきの [ま行]

  植物名となった実在の人物が20人ちょっといる。半分は歴史上の人物である。そして、残り半分は植物学の関係者であり、後の研究者が先達に敬意を表し献名したものである。その中で「まきの」といえば、牧野富太郎博士のことで、日本の植物学の父とも言われる牧野博士の名前は、マキノスミレとマキノシダに付いている。
  日本の植物を研究した外国人としてはシーボルトやマキシモヴィッチが知られる。シーボルトはシーボルトノキ(Rhamuns utilis)に名を残す。この木は中国原産だが、牧野博士が長崎出島のシーボルトの居宅で見付けて名付けたものである。マキシモヴィッチの名の付く植物はないが、助手として働いた須川長之介の名がチョウノスケソウにある。そして植物のみならず博物学の父と言われるリンネの名はリンネソウとしてある。またエキサイゼリとは、博物大名として知られる富山藩主前田利保の号「益斎」をとって牧野博士が命名したものである。
  牧野博士は多くの植物の名付け親となったが、スエコザサは牧野夫人である壽衛さんに捧げられたものである。

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写真:マキノスミレ 2007.3.31 岐阜県可児市鳩吹山

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